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原嘉孝くん出演「リチャード二世」雑感

現在 新国立劇場 中劇場にて公演中の「リチャード二世」

この作品に出演している原嘉孝くんのことについて役柄と覚書。

 

ネタバレあり

 

2020/2021シーズン
演劇『リチャード二世』
2020年10月2日〜2020年10月25日
主催:文化庁芸術祭執行委員会・新国立劇場

 予定上演時間:3時間20分(1幕:90分 休憩:20分 2幕:90分)

公式サイト

www.nntt.jac.go.jp

  

 

ものがたり

リチャード二世の王宮。王の面前に、反目しあう二人の貴族、ノーフォーク公モーブレーとヘンリー・ボリングブルックが召喚される。ボリングブルックは先ごろ暗殺されたグロスター公の死に、モーブレーが関与していたと告発するが、モーブレーはこれを否定。王の裁定は後日、決闘によって黒白をつけるというものだった。その当日、いよいよ決闘開始という時に、突如、王は決闘の中止と二人の追放を宣告する。

ボリングブルックは六年の追放に処されるのだが、やがて彼の父ジョン・オブ・ゴーントが死去すると、王リチャードはその財産を没収する。この暴挙に加え、それまでのリチャードの治世に不満を高まらせていた貴族たちのもとに、ボリングブルックが失われた名誉の回復を求め、大軍を率いて帰国するとの報が寄せられる。

次々とボリングブルックに靡く貴族たち。民衆の支持も得た彼は、籠城した王と対峙すべく兵を進める。ボリングブルックの叔父ヨーク公にとりなされ、対面する二人。ボリングブルックは自身の名誉回復だけを要求するのだが、気圧された王は自ら譲位を宣言してしまう......(公式ホームページより)

 

この「リチャード二世」の劇中で原くん演じるヘンリー・パーシーはイングランドの騎士。とても熱い男で激情型。通称はホットスパー。現代英語では「向こう見ず(な人)」といった意味でこの名が使われる。

 

 

  • 背景とストーリー

リチャード二世の納めるこの時代、側近を重用した統制を行い、税金は高くしかし国民のために使われず、リチャード二世に反感を持っていた人が多かった。自分や側近は贅沢な暮らしをし、そしてそのため財政はひっ迫しており身近な貴族からも疎まれていた

原くん演じるヘンリーパーシーは優秀な軍勢を率いる騎士で、リチャード二世のために尽くしてしてきたが王に評価されることもなく不満を募らせていた。そんななかでノーサンバランド伯と共にボリングブルックの支持者として協力していくことになる。

 

追放されていたボリングブルックが反逆のためイングランドに戻ると自分の軍勢を率いボリングブルックのもとへ参加。ここで「まだ一人前ではないけれど一人前になった暁にはきっとお役に立ちましょう」と宣言しボリングブルックを喜ばせる。ボリングブルックはこのパーシーの言葉に「その言葉忘れることはなく、そうなった時にはきちんと覚えておこう」と約束してくれる。(これはフラグ)

 

善悪をはっきりさせたい男なので裏切りの司教への憎悪はすさまじく、司教がボリングブルックを謀反人と言った時にはものすごい激怒してくれる。そんなカーライル司教をやっと捌くことができると思ったのも束の間、ヘンリー四世が司教を許してしまうので、納得できないままリチャード二世の死で幕が閉じる。

 

 

 

ここまでがリチャード二世における原くんの役柄。その後のヘンリーパーシーは「ヘンリー四世」で、父共々、あれほどヘンリー四世が王位を授かるのに尽力したのに蔑ろにされてしまうので(フラグ回収反旗を翻すことになる。

 

 

幕開けの登場からふてぶてしいのも、上記を踏まえておくと理解がしやすい。

激情型、と最初に書いたが、それだけでなく感情豊かな男ヘンリーパーシー。リチャード二世が王冠(王位)固執する姿を蔑んだような目で見たり嘲笑したり、ヘンリー四世に王冠が授けられる時には満足そうな笑みを浮かべたり、ハル王子(ヘンリー四世の息子)の様子を語る姿は楽しそうで、コロコロかわる表情が心地よい。原くん演じるヘンリーパーシーは勢いのある若き騎士としてとても『生』を感じるのだ。

 

ノーサンバランド伯はボリングブルックが王になるためにものすごく尽力しているのに加え、熱しやすい息子を気にしてチラチラ見てるし、なだめたり、押さえたりしているので父の気苦労みたいな関係性もとてもよい。(ちなみに立川さんのお顔が濃くて息子の顔も濃いのでこの人の息子!感がたまらない) 

オーマール公を責めるシーンは剣幕がすごく性格をよく表しているし、手をすぐ剣にかけようとするところも血気盛んで見ていて楽しい。

 

 

シェイクスピア作品は関係性が確かに難しいけれど、とても面白く演出されてクスッと出来た。生の演劇はやっぱりよいなぁ、とひしひしと感じている。